「おいしいボタニカル・アート」展
学芸員 澤渡さんインタビュー <前編>
最近人気が高まっているボタニカル・アート(植物画)。現在、茨城県近代美術館で「英国キュー王立植物園 おいしいボタニカル・アート 食を彩る植物のものがたり」展が4月14日(日)まで開催中です。今回は、茨城県近代美術館の首席学芸員をされている澤渡さんに、展示についてお伺いしてきました。
聞き手/鈴木ハーブ研究所 代表鈴木、スタッフ雨谷
世界最大規模、最高峰の英国キュー王立植物園
雨谷:英国キュー王立植物園は、どのような植物園で、どのような研究をしているのでしょうか。
澤渡さん:Royal Botanic Gardens, Kew といい、イギリスのロンドン南西部リッチモンド地区にある植物園です。まず規模感が非常に大きいです。敷地面積が約132ヘクタールあり、端から端まで約1.5キロあります。敷地内には3万種以上の植物が植えられ、約22万点のボタニカル・アート、700万点以上の植物標本という膨大なコレクションを収蔵しています。
キュー王立植物園は、1759年にオーガスタ皇太子妃がキュー・パレスという王家の離宮の周りに小さなお庭を作ったのが発端です。彼女が作ったお庭は薬草園だったんですよ。
現在のキュー王立植物園は、世界最大規模、最高峰の植物園であり、植物学の研究機関になっていますが、そもそも薬草園からスタートしているので、その科学的な性格が現在まで受け継がれていると言えますね。
雨谷:意外ですね。貴族の目を楽しませるような庭園が始まりだと思っていました。
澤渡さん:そういう面もあるとは思いますが、ボタニックガーデン(植物園)と言う場合は、植物を収集して研究するという重要な役割があります。
ボタニカル・アートの始まりと発展
雨谷:その研究の一環として、ボタニカル・アートも始まったのですか?
澤渡さん:ボタニカル・アートの始まりは、ヨーロッパのルネサンス期の頃で、自然科学が発達して植物学がおこると、植物を科学的に正確に描く必要が出てくるんです。それが近代的なボタニカル・アートの始まりと言っていいと思います。
16世紀頃になると、 木版画で、写実的なボタニカル・アートが描かれるようになります。その後、銅版画が出てくると、細い線が描けるようになり、植物の個々の品種の細かな違いなども表現できるようになります。
大航海時代になると、プラントハンターが未開の地に分け入って、珍しい植物を発見してヨーロッパに持って帰ってくるようになります。
そして、新種の植物がたくさんヨーロッパに流れ込んでくると、それを記録しようとする意識が働くので、ボタニカル・アートは新種の植物の発見の増加とともに発展していったと言えます。
植物採集や植物の研究はイギリスの国策だった
雨谷:プラントハンターとはどのような人達ですか?
澤渡さん:プラントハンターは、世界中を飛び回り、珍しい植物や貴重な植物、役に立つ植物などを採集してくる人たちのことです。
キュー王立植物園についていうと、ジョゼフ・バンクスという、18~19世紀に活躍した博物学者で、自身も植物収集も行い、イギリスの自然科学界をリードした人がいるのですが、彼は、キュー王立植物園の前身である王家の植物園の運営を任されていました。バンクスが率いた植物園は、プラントハンターをどんどん派遣し、植物画家を雇い、プラントハンターが持って帰ってきたものを彼らに記録させる“植物の情報化”が進められました。
雨谷:今回の展示を拝見させていただくと、植物が発見されるにしたがい、食が豊かになっていく様子が見えて、プラントハンターは重要な役割を果たしたと感じました。
澤渡さん:そうですね。彼らは冒険家であり、植物に関する専門知識も育てる能力もある園芸家でもあることが多いです。
当時は船の輸送なので、植物を生きたまま本国に持ち帰るのが非常に難しいわけです。場合によっては赤道をまたがなくちゃいけない、真水も貴重という環境で、プラントハンターには、植物を生きたまま持ち帰るためのテクニックや、園芸の知識が必要になるんです。
19世紀に、テラリウムのような“ウォードの箱”という小型温室が開発されたことによって生きた植物の海上輸送が容易になりますが、それでも上手くいかないこともあり、ウォードの箱の中にタネをまいた状態で送ったら途中で芽が出て上手くいった、といった話も残っています。
苦労してプラントハンターが持って帰ってきた植物をいかに産業化するか、植民地のどこで栽培したら一番効率良く利益が上がるか、どのように改良したらヨーロッパで流通させられるか、といったことがキュー王立植物園や植民地に開設された植物園で研究されていました。植物採集は、単に珍しくて綺麗なものを集めるというだけではなく、国家の経済のために国策として行われていたわけです。
ボタニカル・アートが優れている点
雨谷:キュー王立植物園では現在もボタニカル・アートを継続して制作していますよね。写真よりもボタニカル・アートが優れている点はどのような点でしょうか。
澤渡さん:植物の特徴を捉えるのに、写真だと不十分なケースがあって、植物画家であれば、品種ごとの違いを意識的に描ける点が優れていると言えます。
誇張するわけではなくて、ちゃんと重要な特徴や違いが分かるように描けるということですね。
キュー王立植物園の植物画家は、植物学者からの依頼で描くそうで、描く植物の特徴の記述(テキスト)をもらうそうです。だから、見たまま描くだけではなくて、記述を元に植物の特徴を理解した上で正確に描くそうです。また、植物の色々な要素を一つの画面の構図の中に落とし込んで描く点も、ボタニカル・アートの一つの特徴です。一枚で、その植物の重要な特徴がパッとわかるようになっています。
鈴木:植物画は、種や花、葉や実などが全て、この一枚の中に収められているというのは、すごく興味深いというか、いい手法だと思いますね。
植物画家の圧倒的な技量と知識と客観性
澤渡さん:今の植物画家は、顕微鏡も使い、細かいところまで描いています。テクニックと、やはり植物学の知識が必要で、今、キュー王立植物園に在籍している植物画家は、もともと植物学者だったという方もいらっしゃるそうです。
鈴木:これだけのものを描けるのはなかなかすごいですね。
澤渡さん:そうですね。客観性や、科学的な正確さがまず大前提としてありますが、その非常に優れた技量には感心させられますよね。あと、カメラが無い時代に、プラントハンターが命がけで持って帰ってきた新しい植物を記録して、とにかく図として残さなくてはならない、という植物画家のプロフェッショナリズムみたいなのものに感動を覚えることもあると思います。
鈴木:画材は統一されていたのですか。
澤渡さん:本展の出品作品は、版画に手で彩色を行っているものが多いです。
また、水彩や、ガッシュという不透明水彩で描かれているものもあります。
学校で習う水彩は、透明性が高いですが、ガッシュは不透明なので、結構こってりした印象になりますね。
雨谷:版画にするということは、書物として保存する目的だったのでしょうか。
澤渡さん:例えば、こちらのウィリアム・フッカーのリンゴの絵は、これは本に収録された図版なんですよ。
額装された状態で展示していますが、元々は1818年にフッカーが出版した『ポモナ・ロンディネンシス』という書籍に収められたものなんですね。フッカーは植物画家で出版者でもあるんですけど、特に果物の絵が得意だった人です。この書籍には、主にロンドン近郊で栽培されていた49種類の果物が紹介されていて、特にリンゴが多いです。
個々の果物の記述は、サイズがこれぐらいで、 味はこんな感じで、お料理用じゃなくてデザートがいいとか、ロンドンのどこそこの市場でよく見かけるとか、そういった情報も書かれています。豪華図版のついた解説書ですね。
茨城県近代美術館
水と緑あふれる千波湖のほとりに1988年に開館。建物の設計は建築家 吉村順三氏によるもの。茨城ゆかりの作家たちの作品のほか、国内の近現代美術の著名な作家による作品、ギュスターヴ・クールベ、クロード・モネ、オーギュスト・ルノワール、オーギュスト・ロダンなどヨーロッパの美術作品も収集している。
ホームページ https://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/
<今後の企画展のご紹介>
石岡瑛子 I デザイン
2024年4月27日(土)~7月7日(日)
デザイナー、アートディレクターとして人々に新しい価値観を提示し、広告、舞台、映画など多岐に渡る分野で国際 的に活躍した石岡瑛子(1938-2012)。本展では資生堂や PARCO の広告など前半期の代表作を中心に、彼女の 飽くなき情熱が刻み込まれた約 500 点の作品を一挙公開。今なお鮮烈な輝きを放つ石岡瑛子の仕事の本質に迫るとともに、その創造の核となった「I=私」を浮き彫りにします。
没後100年 中村彝展
2024年11月10日(日)~2025年1月13日(月・祝)
水戸市出身の洋画家・中村彝(1887-1924)の没後100年を記念して開催する展覧会。作品に描かれたテーブルや椅子など遺品類、あるいはルノワールやセザンヌなど影響を受けた西洋美術作品と彝の作品を比較することで、彝が何を見て、何を描こうとしたのかをさぐります。また、画家を支援した人々の存在に着目し、大正という時代の豊かさに迫ります。